ゆっかです。今日は、家族の死を取り上げます。わたしがライフタイムアドバイザーとして生きていこうと決めるきっかけになった1つの、大きな、でも切ない出来事をお話していきます。
《この記事で伝えたいこと》
- いつどこで大切な人が亡くなるか、会えなくなるのか本当に分からない。
- この世に生を受けた生き物の共通点「生まれた瞬間から死へのカウントダウンが始まっている」
- 生きてるだけで偉い。すごい。
この記事の目次
おじが半年以上前に亡くなっていた。
わたしのおじにあたる人が、半年以上前に亡くなっていたことを聞かされたのは約1ヶ月前。両親が東京に来た際に聞かされました。
元々おじは不整脈を持っており、仕事もあまり長くは続いていなかったりしていたので心配はしていたけど、まだ50代前半。
聞いた瞬間は、驚きのあまり動揺する余裕がありませんでした。
親からは、「おじさんは心臓が悪くて入院している」と聞いていたので、もうとっくの前に亡くなっていたことを隠されていたのは正直ショックでした。
親になぜ、亡くなったときに教えてくれなかったのかと聞くと、「就職のことで大変な時期だと思ったから心配かけたくなかった」とのこと。
シンプルにそんなのどうでもいいから、教えてほしかったなって思いましたね。
家族が亡くなるということを経験して思ったこと。
あなたは家族を亡くすという経験をしたことがありますか?おそらく、わたしと同世代の人であれば一度や二度はあると思います。
わたしは、幼い頃におじいちゃんを亡くし、数年前にひいおばあちゃんを亡くしました。お葬式はおじいちゃんの方には行きましたがあまり覚えていません。
ひいおばあちゃんを亡くした時は、親からすぐに連絡があり、しっかりと受け止められました。ちょうど、連絡をもらった日に綺麗な色をしたてんとう虫が目の前を歩いていて、「ひいおばあちゃんが挨拶にきてくれたのかな」とふと思った記憶があります。また、亡くなる約1ヶ月前に会いに行っていて、あまりのひいおばあちゃんの神々しさに、なんとなく死を悟っていたのだと思います。不思議だね。
もう会えない、と思うと、とても不思議で、なんとも切ない気持ちになります。
おじの死に関しては、とても可愛がってくれていたので、最期に会いたかったです。ちゃんと挨拶できずに、お別れしてしまうことに後悔しました。
「後悔」と「感謝」の念が今を生きることの尊さを教えてくれる。
わたしが今回おじの死を聞いて、一番強く思ったのは「後悔」でした。
おじは孤独でした。生涯独身で、仕事は長続きしないし、ギャンブルもしていて借金もありました。傍から見れば、しょうもない人間だったでしょう。
でも、わたしが思い出すおじは、面白いことを言って笑わせてくれたり、上京したわたしのことをいつも気にかけてくれていました。わたしにとっては、たったひとりの、大切なおじであることには変わりないんですね。
親からは、おじのよくない状況を聞かされることが多かったので、わたしが一人前になったらおじに仕事を手伝ってもらおう、そうすればお給料も渡せるしおじも喜んでくれるだろうとか、結構本気で考えていました。
でも、もう亡くなっていた。もう二度と会えない。たとえ天と地がひっくり返ったとしても、これは変わらない事実だ、と思うとマジで後悔の念が出てきます。
それと同時に、おじの存在に感謝の念も出てきたんですね。おじは弱いところもあったと思うけど、優しい人でした。
でもやっぱり、もっと話せば良かった。もっと頑張る姿を見せておけば良かった。そうしたところで何が変わるか聞かれても、正直分からないけど。
この瞬間も生きているわたしたちができること。
おじの死を通して、人はいつ死ぬか分からないことを改めて感じました。命に必ず終わりはあるし、みんながみんな高齢で亡くなっていくわけじゃない。
わたしたちは、生まれた瞬間から死へと近づいていっているのです。
もしかしたら、これからスーパーに行くまでの道で車に轢かれて死ぬかもしれない、明日通り魔に刺されるかもしれない、数年後鬱になって衝動的に電車に飛び込むかもしれない、30歳くらいで乳がんになって死ぬかもしれない、50代で突然死してしまうかもしれない、100歳まで生きて家族から見守られながら死ぬかもしれない。
いつ死ぬかは誰にも分からないけど、死ぬという事実は確実なんだなって当たり前のことを再確認したときに、「あ、今生きてることってすごいことなんじゃないか」「なんでもできるんじゃないか」と思ったんです。
生きてるだけですげぇ。命を全うしよう。
日々辛いことはあります。人間関係がうまくいかないとか、仕事が辛いとか、自分のブスさにしんどくなるとか、ほんと、大小様々人それぞれに色んな悩みってあります。
でも、死んでないから悩めるんだなぁと思うと、身に起こることって全て自分を成長させるために起こってるんじゃないかな?という気になったりもします。
輪廻転生とか魂は永遠に生きるとか、色んな説があるけど、それは死なないと分からない。でも今生きているということは確実な事実で、生きていれば、現状を変えることって絶対にできるとわたしは信じています。
人はそれぞれにお役目があると言われています。わたしは無宗教だし見えない力とかよく分からない。でも、何万年も前からの先祖がいて、多くの人が関わって今の自分がこの時代に生きているということは壮大。それに出会う人とか自分の身に起こることは大きな力が働いているような気もする。(知らんし分からんけど。)
まあさ、結局はさ、生きてるだけですごいことだし、生きてるってことは必ず何か自分にできることはあると信じて、できない日があってもそれはあって当然だし、毎日粛々と生きていきたいものですね。
亡くなった人を思う時間の使い方。
わたしはライフタイムアドバイザーとして、亡くなった人を思い出した時に、「感謝」する時間を5分充てることをおすすめします。
時間を決めずに考え出すと収集がつかなくなって余計に落ち込んでしまったり、かといってあえて考えないようにするのも自分と向き合えていないので根本のもやもやはなくなりません。
なので、今から5分、○○の死について考えよう、と決めて、最後には感謝の気持ちで振り返ることが大事です。ぜひ、やってみてください。意外と5分集中して考えると色んな思いが出てきますよ。
なんだかちょっと重い話になってしまったけど、言いたいことは
今日も生きてるわたしたちえらすぎぃ!ゆっくり休んで明日もがんばろー!
です。以上!解散!
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